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音痴的、おバカ的イケ面をナチュラルに演じる羞恥心

音痴に悩む仲間達よ!はっきり言って、私は羞恥心というイケ面トリオを全く知りません。島田紳助のクイズ番組も見たことなしです。うわさで羞恥心のことを耳にした程度です。にもかかわらず羞恥心のことを記事にしようと思ったのは、私が想像を絶する音痴野郎で超ええ格好しいの臆病者であるからです。どこでもええ格好を決めたいのですが、超音痴なせいでカラオケにはたとえ一人でもいけません。自分の歌声を聞くのが怖いし、耐えられないからです。カラオケが歌えないからといって世をはかなまなければならないのか。聞くところによると羞恥心のメンバーの一人である上地雄輔さんの「神児遊助」というブログが一日当たりの読者数23万人を記録して、羞恥心の上地雄輔さんのブログは「一日の間に世界で最も多くのユニークユーザー(読者)を集めたブログ」としてギネスブックに認定されたということです。なんということだ、羞恥心という漢字を「さじしん」と読んで、それがきっかけでこれほどの人気を博することが可能であるならば、われわれの音痴の度合いは漢字の読み取り能力で言えば上地君の比ではない。われわれの音痴はもっともっと一般の人たちに知られて、人気を得てもおかしくはないはずだ。

音痴的、おバカ的イケ面をナチュラルに演じる羞恥心

人前で音痴をさらすのと、人前で簡単な鉄棒ができないことをさらすのと、人前で算数の簡単な計算がすぐに出来ないことをさらすのと、人前で漢字を正しく読めないことをさらすのとではどれが一番恥ずかしいことだろうか。「私は音痴ではありませんよ、歌は上手ですよ。私は運動能力は人並み以上ですよ。計算能力も人後にはおちませんよ。けれど漢字を読むのは苦手です」と宣伝するのは楽で、少しも自分自身にとっての痛手はないはずだとわたしは思う。だから羞恥心は羞恥心に値しないことをして羞恥心という名前ををもらっているのはずるいと思う。それに較べれば音痴の人が自分の音痴をナチュラルに発揮して、めちゃくちゃに音痴な声で一曲の歌を最後まで大きな声で歌いきるのはものすごいことで、真に賞賛に値する行動だと思う。音痴の人が音痴のままに歌いきることは反対者がたくさんいる中で自分の主張を臆くさず述べて自分の信念を貫く行為に匹敵する。人前で音痴な歌を歌うのは恥ずかしいと思いながらも、義務としてであれ、自分に対する誇りからであれ、楽しみのためであれ、発散のためであれ、勇気のいる行動だ。だからこそそのことが出来る人は尊敬に値するのだ。

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音痴を誇りにしている人も音痴矯正の方法には興味がある

音痴は恥じるべきことではないかもしれないが、音痴の人にとってはできれば何とかしたいものでもある。歌は聴くだけでなく歌うことで喜びが倍加するものでもあるだろう。できれば歌う喜びを存分に味わいたいものである。とりわけカラオケが今や社交文化の中で大きな位置を占めるようになっている現代日本において、この文化を享受できないことは現代をフルに享受できないことになる。実に老若男女が等しく楽しむことのできるすばらしい娯楽であるカラオケに音痴を理由に参加しないでいるのは悔しくももったいないことだ。私は音痴は恥じるべきことではないと思うが、本当に自分の音痴を恥じる人は音楽というものの美しさを分っているからこそそういう気持ちになるのではないだろうかとおもう。音痴でありながら音痴の歌を人前で最後まで大きな声で歌いきることのできる人は、駅で列を作って待っている中にあつかましくも割り込む不届き者に注意するひとの勇気を備えた人だと思う。が一方において自分の音痴な歌で音楽としてのその歌の美しさを汚しているという自覚がないとも言える。やはり歌は美しく歌いたいものだ。音痴矯正の第Tは歌う勇気を持つこと。つまり美を汚す勇気を持つこと。これが第一歩だ。あとはイロイロ音痴矯正の方法があるから試してみよう。何事も思い立ったときが吉日だ。

Copyright © 2008 カラオケ音痴は羞恥心の上地雄輔君たちに学べ